2014年3月4日火曜日

警察のノルマ主義について思うこと。

ワタクシは現在警察が行うノルマ至上主義的交通違反取締に反吐を覚える反面、実は期待する一面もあります。
というのは、現場警察官に課されるまさに鬼のようなノルマを、交通違反検挙件数ではなく別の数値に置き換えるだけで、相当気合いの入った活動に転換できると思うからです。

もっとも簡単な例として、
管轄区域内の絶対的な「交通事故発生数」(死亡者数だと取締の寄与率が見えないので却下)があげられます。

もちろん、管轄地区の人口や年齢、交通量によって地域差が大きくでるでしょう。当然ノルマ達成が比較的簡単な地域もあれば、厳しい地域もあるという極めて複雑な現実につきあたると思います。それでもあえて事故発生数にこだわります。
取締件数ゼロ件でも無事故が達成できるならば、それはそれで賞賛されて良いと思います。
ノルマを達成しているのだから。あとはただ、交通違反取締に回すリソースを他部署や任務に回せばよいだけですよね。

そうすることによって、当然、自管轄の事故を減らすために、各地方自治体の警察本部、警察署はこぞって独自の施策を練り上げるでしょう。さもなければノルマ達成できないのですから。

老人が事故を引き起こす主因となっている地域(特に過疎の地方都市)ならば、免許返上をとくとくと説得交渉をしてまわる地域もあるでしょう。不便さから老人が免許を返上しないのであれば、彼等に個別運転トレーニングを施したり、あるいは代替移動手段となるタクシーチケット給付のシステムを構築すべく市役所と共同したりせざるを得なくなるでしょう。
子供と車の接触事故が多い地域ならば、小中学校に週一日職員を派遣して、交通道徳教育を施す必要に迫られるでしょう。もちろん、そのためには文部科学省や教育委員会との折衝も必要になるかもしれません。
究極的には、運転未熟者の事故が多い地区ならば、免許制度そのものの見直しも必要になるでしょうね。

つまり、その地域の事故特性に見合った独自の活動が必要になってくるはずです。

さらには、事故傾向が変動した際には、都度柔軟な方針変換が必要でしょう。
前述したように、警察権限が届かない他省庁との調整も必要になるでしょう。当然、予算や人員は現行のままですので、もてるリソースを都度最適化して、もっとも効果があると思われる活動に専念する必要はあるでしょう。

しかし、国民の貴重な生命を守るためのノルマを達成するためなら、どんなことをしてでも調整すればよいのです。現在の、現場警官に切符を捏造してまでノルマを達成させる気概があるならば、造作もないことでしょう。

でもちょっと考えて下さい。
「現存する体制と予算で、課された任務に対して最大の効果を得るべく活動すること」って、民間企業ならば極めて普通の組織行動です。当然、もし何かの不足が見込まれるなら、事業計画を書いた上で上司の決済を得て、不足を補うことも普通の行為ですよね?
つまり任務を達成するために、最善の努力を尽くすことは、なんらおかしな活動にはならないと思うのです。てか、官民問わず、正常なワタクシ達日本人組織ならば、普通にそうするでしょう。

ワタクシ個人として思うことは、警察官や警察官僚ふくめて、一人一人は普通、もしかすると優秀な人材だと感じています。いわゆるドキュン系やお馬鹿さんも混じっているとおもいますが、それも含めてワタクシ達一般市民とまったく変わらないとおもうのです。
つまり、彼等が本気になれば、前述の単純な組織行動ができないはずないと思うのです。

にもかかわらず、一般市民と利害を違えることで利権を得る幹部層が指揮命令権を握っているがために、優秀・勤勉な現場警察官が組織犯罪まがいの行為に走らされているようにしか見えません。
これって、一般市民と現場警察官を不幸にしながら、警察幹部(と、一部OBと、それに群がる一部企業)が幸せになるという、絶対主義時代の腐敗した権力構図にしかみえません。

おそらく世界で最も勤勉な現場警察官を無能に躾け続ける警察幹部(自浄能力無き前例主義文化)の罪は果てしなく重く、彼等に異議を申し立てないことで50年以上甘い汁を吸わせ続けて権力をのさばらせてきた国民の罪は海より深いかもしれないと感じる今日この頃です。





取締り110番 道交法違反・交通違反で否認を貫き 警察と闘うブログ 
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元警察官が語る、交通違反取り締まり時の言い訳・言い逃れベスト5

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