いつも時代の先端を駆け抜けているワタクシは、
つい最近、Twitterなるものを始めてました。
そこでの目的はただ一つ。
いままさに交通違反で取締りを
受けてしまった方へ、
不当な取締りであったなら
切符に署名せず、抗議(否認)する
ことができますよ!
という、私たちが法で保証されている権利を
もつことをご案内することです。
ワタクシの書き込みに対して、ほとんどの賢人達は
華麗にスルー
いただくので、
ワタクシのご案内が迷惑なのかお役立ちなのかは
計りきれないことろではございます。
しかしながら、希にレスをいただくことがございます。
いただいたレスの中で
もっとも目にする主張は、
「今回は自分の非を認めるよ」
という、お答え。
率直に申しあげまして、
それを見たワタクシ個人としては、
日本に生まれて良かったなぁ
と思う、瞬間です。
なんと、潔く自身の非をみとめることができる、
気持ちの良い人々なんだろうと
心から思います。
しかしながら、一個だけ気になることが分かってまいりました。
彼等が自身の非を認める理由について
深くお話させていただいておりませんため
定かではございませんが、
「ルールはルールだから」
「違反は違反だから」
という風におっしゃる方がいらっしゃいました。
当然、そういう主張をする方を
否定することはありません。
しかしながら、そういう謙虚な考え方に
つけ込む警察の取締り方式に
対しては断固抗議します!
見通しがよい誰もいない交差点で、
一時停止をせず、徐行のみで済まして
しまうことは、
反則切符を切らねばならぬほど、
重大な違反なのでしょうか?
田んぼの中の一本道で、
制限速度を20km/h超過して走行することが、
待ち伏せして検挙してまで
反則切符を切らねばならぬほど、
重大な違反なのでしょうか?
歩行者のいない、
郊外の直線続く広い道路で、
100km/hで走行する周囲の
車を無視して、自車だけ
法定速度で走行することが、
安全で円滑な交通を
実現するのでしょうか?
ワタクシは決してそうは思いません。
いえ、多くのドライバーもワタクシと同じ見解だと思います。
しかしながら、規律に従おうとする
秩序高い国民の性として、
秩序高い国民の性として、
検挙されたときは、
「ルールを破ったのは確か」「運が悪い」だとして、
我慢しているだけだと思います。
つまり
道交法と道路運用実態の
矛盾に挟まれたとき、
敢えてご自身を「人柱」にして、
秩序を維持しているように
見えます。
道交法と道路運用実態の
矛盾に挟まれたとき、
敢えてご自身を「人柱」にして、
秩序を維持しているように
見えます。
だけど、ちょっとまってください。
皆さんは本当に
安全で円滑な交通を阻害して、
道交法の趣旨に反して
しまったんでしょうか?
本来は、切符を切らずとも、
警告処分で済ます権限を
もつにもかかわらず、
問答無用で反則金を要求してくる
警察の取締り方法は
本当の交通安全を目的と
しているのでしょうか?
しているのでしょうか?
どうか、美しい人柱となる前に思考をとめず、
もう一度だけ考えて見て下さい。
もう一度だけ考えて見て下さい。
高潔な皆さんが
自らを人柱として守ったものは、
交通秩序維持という美名を隠れ蓑にした、
警察が作り出した反社会的な
恐喝集金システムでは
なかったでしょうか?
ワタクシたちが異議を唱えない限り、
警察一家のヤクザ流恐喝方式が
とどまることはありません。
(政治家はあんな感じですし^^;)
なぜなら、
取締り方式に納得しているからこそ
実に被検挙者の99%が
素直に反則金を支払っているんだよ?
という口実が、いつまでもまかり通るからです。
ワタクシは、自身が道交法の趣旨に反してしまったと認める
時以外は絶対に違反を認めません。
あいにく自分は、
こんな警察・検察・裁判所の
茶番劇につきあうほど
人格者ではありませんので^^;
なので、ツイッターの人に
「うるせー」って言われても
へこみません^^;笑