2011年8月15日月曜日

ケース別対応マニュアル ③一時不停止

一時停止違反

結論から言うと、取り消させるのは相当難しい。一時停止の標識は赤で目立つし、道路にもペイントがあるのが普通なので、これを見落としては単なる過失では済まず、故意とほぼ同値の「重大な過失」となるからである。しかし、歩行者も車も1台もいないのに取締りを受けたとか、嫌がらせとしか思えないように隠れて取締りを行われたりしたなら、主張だけは通して否認し刑事処分だけでも不起訴を取っておくべきであろう。確かに反則点数2点は痛いが、警察が一番欲しがっている反則金(後に交通安全特別交付金となって都道府県にキックバックされ、警察OBの生活を支える資金)を払わないワケだから完全な負けでもないだろう。

①今止まらなかったね。あそこは一時停止だよ。

主張:そうなんですか!?この道路を通るのは初めてで知らなかった上、歩行者や合流車線の車に対する安全確認を優先するあまり、標識を見落としてしまいました。反省して二度と繰り返しませんので勘弁して下さい。

解説:開き直って「いや止まった!」とする主張はあまりにも強引なので、止まらなかった事は認めた上で、安全確認を優先した結果、初めて通る道路で標識を探すという動作が後回しになってしまった、という過失を強調しておこう。これだけで勘弁してもらえることはないので、あくまでも布石である。

②ダメダメ。あそこは一時停止なんだから。

主張:それは今あなたに言われて初めて知りました。確かに私は標識を見落とすという過失を犯しましたが、自分及び他者の安全確認を優先した結果の過失です。「安全かつ円滑な交通」という道交法の趣旨には抵触していないと思いますが、そこまで重い処分を受けなければなりませんか?

③違反は違反だし、一時停止を止まらなかった事が「危険だ」という事だからね。

主張:つまり○○さん(許してもらえそうにないとわかった時点でバッジの提示は求めておこう)は、「周囲の安全確認よりも標識を探すことを優先すべきだ」と主張されるワケですね。とりあえず私が止まるべきだった地点までご同行願えますか?

解説:一時停止とは、一時停止の白線よりも手前で一旦停止しなければならないことを意味するが、実は白線は交差点よりもかなり手前に引かれていて、そこで一旦停止しても合流路の安全確認は出来ない位置であることが多い。従って警察官を現場まで同行させ、以下の主張へ続けていく。

④ここに白線があって、標識も容易に確認できる場所にあるから、ここで止まらなければならないよ。

主張:質問ですが、この位置で停車すると運転席はこのくらいの位置になりますよね?○○さんは、この場所から合流路の安全確認が出来ますか?

⑤うーん…確かにここからだけでは見えない部分もあるから、ここで一旦停止した上で徐行しながらちょっと前に出て、場合によっては交差点の入口でもう一度止まって左右確認をしてから合流すればいいでしょ。

主張:それはちょっとおかしな主張ですね。私は「安全確認は十分にしたから危険ではなかっただろう」と主張しているのに、○○さんは「標識に従わなかった事のみをもって危険だと判断できる」とするワケですよね?それは裏を返せば標識に従ってこの地点で一時停止さえしていれば、そこからは普通に行っちゃってもいいってことですよね?何故なら一時停止線より前で再度停止して左右確認をするということは道交法には書かれていないワケですから、取締りの根拠法がなくなってしまいますよね?でも実際にはこの位置からでは十分な安全確認は出来ないワケですから、終始徐行して安全確認を優先した私よりも、一時停止線より前で停車してその後は普通に飛び出しちゃう車の方が安全だと主張させるんですか?○○さんが私が違反する現場を見ていたならわかりますよね?私の運転はそんなに危険でしたか?切符を切らなければならない程に?

⑥ゴネてもダメだよ。違反は違反だから。

主張:そうですか。では告知書への署名は拒否しますので供述調書に今の事を明記して下さいね。「被疑者は標識の見落としという過失は認めたが、安全確認は十分しており危険はなかったと主張しているが、○○巡査は「安全か危険かの判断は道交法の文面通りの運転をしたかどうかのみをもって判断すべきであり、一時停止さえ守っていればその後飛び出してしまったとしても、取締りの根拠法がない以上無罪でありつまり安全であったと言えると断言した」とね。ところで道交法に違反した場合でも警察官は「厳重注意処分」という判断を下すことも出来ると思いますが、どうして私の違反は注意では済まず、告知書の交付という厳罰を下さなければならないんですか?どんな点を持って「厳重注意処分では済ませないほどの可罰的違法性がある」と判断したのか説明して下さい。

解説:他のケースでもそうだが、違反自体を否認してもまあ勝ち目はない。争うべきは手続き上の瑕疵(かし)や、可罰的違法性であって、事実の有無について争ってはならない。裁判まで頑張っても裁判官は警察側の証言のみを採用するからだ。「過失は認めるが可罰的違法性はないだろう。それにこの取締りにはコレコレの点で違法性や恣意性が認められる」というロジックで主張していくのだ。

2011年8月14日日曜日

現場の警察官の皆さんにお願いしたい!!



23年間にわたり警察官として最前線に勤務され、退職後に腐敗を続ける警察組織への警鐘をならす活動を続け、
2010年11月2日、千葉県市原市で自死を選んだジャーナリストがいました。

それが黒木昭雄氏です。

彼のHPはご子息が引き継ぎ現在も存在します。
そのなかに、交通違反取締に関する警鐘がございましたので、
そこから引用させていただきます。

以下、http://www.akuroki.jp/re_tree/Plogs=61_treebbs.htmlから引用です。
他にも興味深い記事がございますので、関心ある方は覗いてみてはいかがでしょうか?

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私は警視庁に在職していた二三年間、上司のノルマ主義的命令にはさからって、交通取締りには自らの基準を持ち続けてきた。


私の交通違反取締りの原則は「指導」であった。
もちろん悪質な違反に対しては、断固として取締まり、妥協はしなかった。否認事件を多数抱えた時期もある。それどころか、検知拒否罪や信号無視の中でも、極めて悪質な運転手に対しては、その場で手錠をかけて現行犯逮捕した。千代丸氏著『無法ポリスに立ち向かう本』には、私が「悪徳警官」として描かれている。


この本は反面教師として、以前警察学校の副読本として使われていたのを覚えている。


私を知る多くの警察官は、「黒木は暴力団や薬物には目がないが、交通違反に関してはまったく目が向かない」
という者も少なくない。



しかし、決して交通違反問題を軽視していたからではない。交通違反者は犯罪を犯しているという意識は薄く、ほとんどが偶発的なものである。しかし、行政処分を受けて車の運転ができなくなれば、死活問題になる場合もある。


反則切符制度は警察手続きの中ではもっとも簡略化されたものであり、ベテランなら一〇分程度で終える。
簡略化のために違反者は十分な弁解の時間も与えられず、通り一遍の質問だけで処理されてしまう。そのため、違反者の深刻な事態にも気づかずに処理されてしまうのだ。


快適な環境とは言えない所で、日夜勤務に励む第一線の警察官につきまとう点数や件数実績主義。
身を切る思いで反則切符を切らねばならない、辛い立場も理解している。


しかし警察法の精神に立ち返り、現場では正義を実践し、守っていただきたいのだ。


悪質な者に対しては、たとえ交通違反といえども警察の強権を発動し、違反が偶発軽微で、反省の色が窺える者には、警告処分を旨としてほしい。人を見抜く目と冷静な判断力が求められている。
点数主義は決して警察のためにはならない、と心してほしいのである。

私は常々交通取締りの基準を、自分自身の運転におき換えていた。たとえ警察官といえども、絶対に交通違反をしない、したことがないと言い切れる者はいないはずだ。

私も当然違反をしたことがある。だから交通違反を犯す者の気持ちは、皮膚感覚でわかるのだ。
その観点から、運転者だけを取締りの対象とする警察の考え方も、この際一考しなければならないと思う。


確かに交通取締りは弱者を保護する、という建前は理解できる。
しかしそれは、弱者が交通ルールを守っている場合ではなかろうか。一般歩行者の交通ルール無視は目にあまるものがある。その無視のために事故が起きれば、自分自身のみならず、運転者にまでその累を及ぼし、運命を変えてしまうこともある。歩行者の身勝手が減れば、確実に悲惨な事故が減少するのだ。


現在点数主義に毒された、交通違反の行き過ぎた取締り命令は、全国民を敵に回し、捜査協力さえ得られない重大問題になりつつある。
聞き込みに行っても、不当な取締りを受けたと、反発し協力してもらえないケースも出はじめた。私が言いたいのは、警察官として取締りの権限を持つ者は、とかく処罰の権限までも持っていると錯覚し、警察法でいう「法の精神」を忘れているのではないかということだ。



法律にはあらゆる罰則があり、罰金刑では不定金額を明示されているが、道路交通法に明示されている反則金額は、確定金額である。
罰金刑における罰金額は、通常裁判官が決めるが、交通違反における反則金適用の違反については、警察官が違反の種別を認定し(決めて)、確定反則金額を違反者に告知する。


したがって交通違反の場合、警察官には取締りと罰金額を告知する権限を持っているが、裁判官のように人を処罰する権限までは持たされてはいないのだ。そこを錯覚しないでほしい。


偶発的な違反までも厳しく取締まるのではなく、「悪質なドライバー」、「悪質な歩行者」を検挙活動(一般的な取締りで逮捕ではない)をとおして、交通の安全に寄与していただきたいものである。




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「いい奴はみな死ぬ」
「生き残るのはいつも農民」


なぜかしらこんな台詞がワタクシの脳裏に広がります。

黒木氏のご冥福を祈らずにいられません。




2011年8月13日土曜日

「取締り」が天下り幹部の高給に化ける理由



23年間にわたり警察官として最前線に勤務され、退職後に腐敗を続ける警察組織への警鐘をならす活動を続け、
2010年11月2日、千葉県市原市で自死を選んだジャーナリストがいました。

それが黒木昭雄氏です。

彼のHPはご子息が引き継ぎ現在も存在します。
そのなかに、交通違反取締に関する警鐘がございましたので、
そこから引用させていただきます。

以下、http://www.akuroki.jp/re_tree/Plogs=61_treebbs.htmlから引用です。
他にも興味深い記事がございますので、関心ある方は覗いてみてはいかがでしょうか?

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納得のできない取締りを受けた者は、実に膨大な数になるはずだ。
巷間言われている、推測されていることにその理由があるのは、ほぼ事実だろう。

それをチャートにすれば次のようになる。


●交通違反を取締まる


→ 交通反則金が警察庁に流れ込む(歳入)



→ 交通反則金を予算計上し、自治省が都道府県に交付する(歳出)


→ 自治体警察本部などは反則金交付金を大義名分つき公的使途にカムフラージュする


→ 自治体は交通関連A~Z企業に機材など発注する


→ A企業に警察幹部が天下る


→ A企業を随意契約(そこしか指名しないから実質独占)企業にする


→ A企業から警察退職幹部に給与、賞与、顧問料が支払われる



●交通反則金 = 交通関係機材費 = 天下り警察官僚の給与、賞与、顧問料



というメカニズムが、前記の毎日新聞記事などから推測できるのだ。すなわち交通違反を取締まる目的が、反則金の収奪にあり、それは巡り巡って、警察幹部(退職幹部含む)の高給に化けているのではないか、という疑惑だ。そう推測できる現象は、警察内部では腐るほどある。

上司は何でそんなことを言うのか、納得いかない指示、命令の数々など、よく考えればチャートの図式にどうしてもたどり着く。




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このフローは、やくざが好むマネーロンダリングそのものです!

警察を心から愛していた黒木氏が、安心して眠れる日は当分訪れそうにありません。。。

2011年8月12日金曜日

交通違反反則金のウナル還流方法




23年間にわたり警察官として最前線に勤務され、退職後に腐敗を続ける警察組織への警鐘をならす活動を続け、
2010年11月2日、千葉県市原市で自死を選んだジャーナリストがいました。

それが黒木昭雄氏です。

彼のHPはご子息が引き継ぎ現在も存在します。
そのなかに、交通違反取締に関する警鐘がございましたので、
そこから引用させていただきます。

以下、http://www.akuroki.jp/re_tree/Plogs=61_treebbs.htmlから引用です。
他にも興味深い記事がございますので、関心ある方は覗いてみてはいかがでしょうか?

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道路交通法第一章総則、第一条(目的)
この法律は、道路における危険を防止し、その他交通の安全と円滑を図り、および道路の交通に起因する障害の防止に資することを目的とする。

交通違反で取締りを受けた者は多い。

警察の手続きもよく知られている。しかし、その反則金の流れは、一般には闇の中だ。あまり話題になることもない。


違反者が金融機関に納めた反則金は、歳入としていったん警察庁に納入される。
そこから歳出担当の自治省にわたり、地方交付金として各自治体に交付される。
その交付金から、交通安全に関わる「交通標識、信号機、道路ペイント」などの費用に充当される、という建前になっている。


では全国四七都道府県に、それら交通関連設備を専門に扱い施工する企業が、どれほどあるのだろうか。


それら関連企業の資本、役員、営業形態(入札)はどのようになっているのか、などの点に話が及ぶと極めて不透明な部分が多いことに気づく。



そのことに関して、次のような記事を覚えている読者も多いだろう。その不透明な姿がちらりと波間に浮上した、警察(OB)と業者の癒着を暗示させる事件だった。

信号機管理で脱税、警察OB天下り先―法人税法違反容疑で、社長ら二十人聴取へ


◇数十億円、所得隠しの疑い
警視庁など全国十都県の警察本部から信号機の保守管理を請け負っている日本交通管制技術(横浜市西区)とグループ企業が巨額の法人税を脱税していた疑いが強まり、東京地検特捜部は十三日、天門太陽(あまかどたいよう)社長(六十一)ら関係者約二十人を法人税法違反容疑で一斉に事情聴取する方針を固めた模様だ。



グループ企業間で架空の注文を出したように装うなどの手口で、過去四年間に数十億円の所得を隠した疑いが出ている。グループは元警視総監や警察OBを顧問や役員に迎えるなど警察との深い関係を背景に業務を拡大していた。
これまでの調べや関係者によると、日本交通管制技術は警察から信号機の保守管理業務を受注した後、一部をグループ企業に下請けさせていた。この際に企業間で架空の注文を出したことにして不正な経理操作をしていたという。同社とグループ企業は昨年六月、東京国税局の強制調査(査察)を受けていた。
関係者は「不正経理で捻出した金は、税務署には申告せず、事業資金などに使った」と証言。特捜部などはグループ上層部が不正経理を指示して組織ぐるみで脱税工作をしていた疑いがあるとみて、天門社長らを追及する方針だ。


日本交通管制技術は一九六七年に設立され、信号機や警察の交通管制システムなどの保守管理を請け負っている。資本金は九千万円。民間信用調査機関などによると、昨年三月期の売上高は二十三億七千万円で、警察からの委託分が大半を占める。


これまで、青森、山形、福島、神奈川、新潟の五県警でグループ企業が信号機の保守管理業務を独占していた。警視庁と千葉、静岡、群馬、愛知の四県警でも業務の一部を委託されている。グループには青森、山形、福島、神奈川、新潟、千葉、愛知の七県警から、交通部長や交通部参事官だったOBが役員に天下りし、複数の元警視総監が顧問に一時就任していた。


警察庁は昨年夏、都道府県警の交通担当者を集めた会議で「随意契約を競争入札に切り替えるなど業者選定に門戸開放を進めるよう」指導した。これを受けて一部の県警では、業務の委託方法を見直す動きも出ているが、改善はあまり進んでいないという。


一九九八年四月十三日・毎日新聞・東京夕刊






全国の大企業は高級官僚に天下りポストを用意している。
その理由は「許認可」などの件で自社に有利に運びたいからで、その癒着構造は世論からたびたび指摘、指弾されてきた。


確かにその癒着から被る市民の不利益はあるだろうが、しかし交通問題はより市民生活に密着し、そこに不正があるなら、市民の被害はより甚大であろう。


毎日新聞の記事でわかるように、交通標識、信号機、道路ペイントなどの請負企業が、警察高級官僚の天下りを多数受け入れた、競争のない随意契約(本質は独占)企業と判明した。
この警察高級官僚の天下りを持続させるため、警察内部ではとんでもないことを平気で署員に押しつけているのだ。


警察上層部のある部長は「交通取締りの件数にこだわれ、数字にこだわれ」と指示を流し、とにかく取締り件数の実績を上げようとする。


道路交通法の目的は、道路上の危険防止と交通の安全を円滑に維持することにある。
そのため現場警察官は、道交法の精神に則り、違反者に対して厳格に臨み、指導、取締りを行なうことになっているのが建前だが、指導などはどこへやら、実際はみなさんご存じのとおり、違反者から反則金を取り上げる「取締り」が主目的となっている。


私の経験から言えば、平成三年の春ごろから急に交通違反取締り(特に駐車違反)件数を上げるように、上司が口やかましくなったと記憶している。
少なくともそれまでは、悪質ではないと認められる運転者に対しては、指導するという措置が取られていたのだ。


しかし最近では、取締り件数アップのためには、事情などいっさい斟酌せず機械的に処理し、点数を上げることにのみ熱心な警察官も増えている。その一例を挙げると、
深夜、PCで管内を警ら中に「駐車の苦情」ありと一一〇番通報を受け、現場に急行するとすでに受持交番から若い警察官が臨場していた。確かに三台ほどの車が駐車していたが、別にほかの交通に支障をきたすほどもなく、通報者も現場にいなかった。


駐車中の運転者に対し「なぜ車をここに止めているのか」、と聞いたところ「父親の容体が急変したから、急いで駆けつけたところだ」ということだ。しかし、受持交番の警察官は「違反は違反ですから」と言って、反則切符を取り出しはじめた。
私は思わず「いい加減にしろ」と一喝し、その取締りを中止させたことがあった。


その警察官は道路交通法の目的を、まったくわかっていないのだ。


この件は法的には確かに違反だ。しかし、その場の状況と駐車の理由から判断すれば「警告処分」にするぐらいの臨機応変の処置を取るべきなのだ。法はあらゆる事態を想定して作られてはいない。基本原則を示し、その中で常識的な判断をする、というのが法の精神だと思う。




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「いい奴はみな死ぬ」
「生き残るのはいつも農民」


なぜかしらこんな台詞がワタクシの脳裏に広がります。

黒木氏のご冥福を祈らずにいられません。





2011年8月11日木曜日

実際のノルマ点数表でわかる、その証拠


23年間にわたり警察官として勤務され、退職後に腐敗を続ける警察組織への警鐘をならす活動を続け、
2010年11月2日、千葉県市原市で自死を選んだジャーナリストがいました。
それが黒木昭雄氏です。

彼のHPはご子息が引き継ぎ現在も存在します。
そのなかに、交通違反取締に関する警鐘がございましたので、
そこから引用させていただきます。

以下、http://www.akuroki.jp/re_tree/Plogs=61_treebbs.htmlから引用です。
他にも興味深い記事がございますので、関心ある方は覗いてみてはいかがでしょうか?

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最近多くの雑誌編集者から
「警察にも実際には取締り件数に対するノルマがあるのではないですか?」と、よく聞かれる。


おそらくその質問の意味は、警察官がノルマを果たすために、不必要な取締りを実際に行なっているのではないか? 
という意味のようだ。


それではまず次頁の表(引用者注:サイトにはありませんでした)を見ていただきたい。
これは私が過去に勤務していた、第二自動車警ら隊の「検挙・取扱いほう賞基準表」である。
功労種別の右側にはそれぞれに数字が記載されており、一見しただけでこれが実績点数であることがわかる。


つまりこの表は実績ノルマの前提となる、いわゆる「点数」が実在している証拠なのである。

しかし警察のノルマは民間のノルマと違うのだ。
民間ならノルマの達成は即、会社成績の向上になる。警察組織は国家機関であり、犯罪予防と検挙をその任とする。犯罪の検挙率が高ければ、確かに治安がよくなるが、もっと望ましいのは犯罪が起きないことである。


したがって、犯罪予防の方に重点をおかなければならない。
すなわちノルマには馴染まない組織形態なのだ。さらに、ノルマが仮にあったとしても、民間のように倒産の恐れはまったくない。




それなら、実際に警察にノルマがあるのはなぜなのか?



1・警察実績は予算請求の道具
2・無能な監督者の実績管理法





つまり警察は従業員二六万人を擁する、大メーカーである。
製品は「実績」という名の単品で、単品メーカーとしては世界一の売上げを誇り、日夜生産に励んでいる。


毎年その実績件数(検挙件数)を伸ばすことによって、翌年度の予算が得られ、結果として一部の警察上層部は「それらにかかる装備品などの充実強化」という名目で、利権を取れるのだ。




無能な監督者は実績ノルマを前面に出し「実績のないものには休暇はやらん」「昇任させない」と脅すのだ。




そのように作った数字を上級幹部に示し、それゆえに架空の警察実績が維持されていくのだ。





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いかがでしょう?
警察時代の時間の大半をパトカー内で
過ごした黒木氏の発言はリアリティがあります。


「いい奴はみな死ぬ」
「生き残るのはいつも農民」


なぜかしらこんな台詞がワタクシの脳裏に広がります。


黒木氏のご冥福を祈らずにいられません。


2011年8月10日水曜日

府警OB・教習所管理者を書類送検 大型免許不正取得疑い


京都府警察本部の元交通部の次長が退職後に勤務している井手町の自動車教習所で、部下の男に不正に免許を取らせたとして道路交通法違反などの疑いで書類送検されました。
書類送検されたのは京都府警察本部の元交通部の次長で井手町にある「山城自動車教習所」所長の63歳の男です。
警察によりますと所長はおととし12月、大型二種免許を取ろうとしていた、42歳の部下の男が、実際は受けていない応急救護処置の講習を受けたかのように装ってうその証明書を部下に渡し不正に免許を取らせたとして道路交通法違反などの疑いが持たれています。警察によりますと所長は「部下の仕事が忙しそうだったのでやってしまった。講習は後で受けさせるつもりだった」と話して容疑を認めているということです。
教習所によりますと、所長は京都府警察本部の交通部の次長や南警察署の署長を経て平成20年に京都府警を退職し、教習所に再就職していたということです。
書類送検を受けて山城自動車教習所は「講習に関して不正な行為は断じてないと確信している」とコメントしています。


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元警察幹部で、天下り自動車教習所管理者とやらの
実名がでていないのはどうしてですかね?
理由は聞くだけ野暮ですね・・・・w


・・・そうか、自分も昔お世話になった自動車教習所も
警察官僚利権の巣窟なんですね。

なるほど、あの馬鹿高い講習料もいまなら納得できます。

そして、運転免許試験場での一発実技試験が
あれほど難関であることも、いまなら頷けます。


取得する時から、免許システムは警察官僚利権の権化たる
システムなんですな・・・。






「ノルマ制」をやめ、「道交法の原点」に戻るべきだ


23年間にわたり警察官として勤務され、退職後に腐敗を続ける警察組織への警鐘をならす活動を続け、
2010年11月2日、千葉県市原市で自死を選んだジャーナリストがいました。
それが黒木昭雄氏です。

彼のHPはご子息が引き継ぎ現在も存在します。
そのなかに、交通違反取締に関する警鐘がございましたので、
そこから引用させていただきます。

以下、http://www.akuroki.jp/re_tree/Plogs=61_treebbs.htmlから引用です。
他にも興味深い記事がございますので、関心ある方は覗いてみてはいかがでしょうか?


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交通違反ネズミ取り(SP = スピード取締り)で「何でこんな所で捕まるんだ」という経験を持っている方は多いだろう。
それは警察が取締りのための取締りをするからだ。


しかし取締まる立場の警察官にとって、これがよい方法だなどと思っている者は一人もいない。


上司から「今日は○○本以上切符を切るように」などと命令され、それに達していないと、


「お前はやる気がないのか」
「仕事をしないならリストラだ」



などと罵るのを当然とする、愚劣な警察幹部も実際に多いのである。


SPの現場などでは、違反者が諦めて帰ったあと、「これから遊びに行くのかな。子供も乗っているのに可哀相に」という現場警察官の同情ととれる小さな声が、あちこちで響いているのだ。


ここに警察法という、一般ではほとんど目にしない法律の条文の一部を転載する。

警察法(昭和二九年六月八日・法律第一六二号)
第一章総則
第一条(この法律の目的)
この法律は、個人の権利と自由を保護し、公共の安全と秩序を維持するため、民主的理念を基調とする警察の管理と運営を保証し、且つ、能率的にその任務を遂行するに足りる警察の組織を定めることを目的とする。

第二条(警察の責務)
警察は、個人の生命、身体および財産の保護に任じ、犯罪の予防、鎮圧および捜査、被疑者の逮捕、交通の取締その他公共の安全と秩序の維持に当ることをもってその責務とする。


2警察の活動は、厳格に前項の責務の範囲に限られるべきものであって、その責務の遂行に当っては、不偏不党且つ公平中立を旨とし、いやしくも日本国憲法の保証する個人の権利および自由の干渉にわたるなどその権限を濫用することがあってはならない。




このとおり警察法には「その権限を濫用」してはいけない、と明記されている。
警察上層部は、原点に返り、真の国民に対する責務を学び直すべきではないのか。


昔から警察は、「決して過ちを認めず、反省をしない組織」であることは十分に承知している。
しかし組織の舵を取るキャリアの方々にお願いしたい。組織人である前に、個人として良いことなのか悪いことなのか、警察官という立場を脇におき、普通の心で、ただの人間として、世間常識でまず判断してほしいのだ。


いつまでも組織にはいられない。いつかは退職し、民間の「普通の人」の生活がやってくる。
そのような民間生活者になっても、現在の警察のやり方は絶対正しい、と言い切れるだろうか、よくよく考えていただきたい。




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「いい奴はみな死ぬ」
「生き残るのはいつも農民」






なぜかしらこんな台詞がワタクシの脳裏に広がります。

黒木氏のご冥福を祈らずにいられません。

元警察官が語る、交通違反取り締まり時の言い訳・言い逃れベスト5

すばらしい記事です!! 提灯記事を専門とするサラリーマン記者諸君には どんどん真似をするべきでしょう。 利害が相対する一方の立場の発言を 裏取りや調査もせず ただ聞いたことを記事にして 交通安全を声高に叫ぶ!    すばらしいw ...